箱庭療法が、マーガレット・ローエンフェルト、ドラ・カルフの手を経て、河合隼雄によって日本に導入されたということは広く知られていることでしょう。
しかし、そこにはもうひとつの物語があったことを一冊の書物によって知ることができます。
その物語は、決して過去のものではなく、これから私たちが箱庭というものをとおして、イメージの世界とどうつながっていくことが必要なのかと考えていくきっかけを与えてくれるように思われます。
箱庭療法というものがどのように誕生し、どのような経緯を経て世界に広がったのか、
そして、現在とこれからを見据えたとき、私たちに求められるものとはどんなことなのか。
その本質が、誰かの頭のなかでひねりだされた言葉によってではなく、
子どもたちのイメージ表現によってゆるぎないものとして語られています。
私たちは何によって生かされているのか、
破壊と創造をくりかえしながら、どこへ向おうとしているのか。
箱庭と…、そして表現されたイメージと向き合うということは、
そんな問いと共に生きることを余儀なくされることのようです。
(『危機介入の箱庭療法』 エヴァ・パティス・ゾーヤ著 監訳 河合俊雄 訳 小木曽由佳 2018年 創元社)
episode 1
私の子ども時代は、いつもぼーっとして忘れ物ばかりしていて、内心そわそわと落ち着かない、どこにいても場違いなかんじがぬぐえず、「早よ帰りたい」とあてもなくさまよっていた「迷子の時代」のように思われます。
その頃、夢中になっていた遊びがありました。
夕方、周りに誰もいなくなったことをこっそり確認してから、砂場でひとり、「黒砂」でお団子を作るのです(「黒砂」とは湿った砂のことで、乾いたさらさらの砂は「白砂」と呼ばれていました)。しっかりと堅く握りながら最大限に大きくしていきます。そうしてできあがった黒砂のお団子は、砂場を囲むレンガの上に置かれ、次に砂場を出来る限り深く掘っていきます。そうして、黒砂のお団子と深い穴が出来上がったら、仕上げに白砂をお団子にまぶしていきます。こうすることによって「完成」させるのです。そして完成させられたお団子を穴の底に注意深く設置し、砂をかけて穴を埋め、何事もなかったかのように装います。
帰宅して、眠って、朝になって幼稚園に行き、砂場を横目に急いで帰宅し、制服を着替え、砂場に直行します。
再び、周りに誰もいないことを確認してから、おもむろに昨日埋めたところを掘り返します。お団子を潰してしまわぬように用心深く掘り進めると、そこには、昨日、自分が作って埋めたお団子がちゃんとあって、大きな感動と共にそっと取り出され、レンガの上に置かれるのです。それは一瞬の再会と共に即座に自らの手によって砕かれ、跡形も無く隠滅されます。そしてまた、いちからお団子を作って…、という遊びでした。
この遊びをどれくらい繰り返していたのか、何かきっかけがあって終えたのか、うまく思い出せないし、なんなら「ほんまにあったことかなぁ、夢みてたんちゃうやろか…」とさえ思えてきます。そしてそれはどっちでもいいと思っています。
私は物心つく前に父を病気で亡くしています。そのことによって私はこの世の「生」を生きると共に「死」を想い続けることとなりました。自分のルーツの半分は「死」から始まるものだったからです。お線香の香りと共に寝起きし、何かあれば黒い箱の向こうにいる父に報告するよう促され、いつも見守っているらしいが、どんなに願っても一度もその証を見せてくれたことがないその存在が「哀しむ」からと日々の言動を諭されることを日常として成長しました。
そんな「この世」にも「あの世」にもうまく馴染めず、そわそわさまよっていた私に、お団子はその存在をもって「実存」ということを体現してみせてくれていたのではないかと思うようになりました。
お団子は、この世に生きる私にかえがえのない慰めを与えてくれたのでした。
箱庭の砂は、大切なところにつなげてくれる「扉」であり、「通路」であるように思われます。
そこにつながることによって、人は生きることに対する信頼を取り戻すことが可能となるのではないでしょうか。
淀屋橋オフィスでは、安心して箱庭に取り組んでいただけるよう場を整えていきたいと思っています。
砂箱は2つ。お好きな方をお選びください。湿らせたものとさらさらの乾いたもの。